
チベット密教の歴史
チベットといえば、まず最初に活仏ダライ・ラマを思い起こす人が多いに違いないと思います。仏教史全体から見て、チベット密教はインド後期大乗仏教の密教教理を忠実に引き継いで発展させ、きわめて重要な位置にであるにもかかわらず神秘的な部分が強調されることが多く実像が正確に伝わっていると言い難い状況にあります。チベット密教は中国や日本とおなじように大乗仏教に属し信仰はチベットのみならずモンゴル、ネパール、ブータン、ロシアの一部、ヨーロッパ、アメリカ、日本、世界各国にチベット密教が紹介され関心が高まっています。チベットでは仏教渡来以前にポン教(ボン教)とよばれる土着的な民族宗教が広まっていました。ポン教は、万物にはすべて霊が宿っていると言う汎神論を基調とした、呪術的な要素が強い民族宗教で祖先崇拝の宗教でもありました。仏教が伝来すると、既存のポン教は激しく仏教と対立抗争を重ね、対立関係が300年以上続きましたが、次第に融合を重ねるようになって、チベット仏教側がポン教の神々と宗教儀礼を習合し、ポン教側がチベット仏教の教理を吸収することで決着しポン教はチベット仏教の一派といっても過言ではないほど、著しく仏教化しています。
ラサ市内にある大昭寺はチベットに建立された最初の仏教寺院です。五体投地の礼拝を行いながらラサの大昭寺をめざした巡礼者がお参りをしている姿です.。『秘境』の現実の中で至高の教えは消滅することなく荒涼と豊穣が同居し何もないがすべてがある世界、繰り返し行われる五体投地の礼拝は,『己の存在を徹底的に無化させる』事を意味し礼拝の対象である仏の世界には『あらゆる者を救済へと導く知恵』が準備されているとされ今なお生きた神話が息づいています。