宇宙との出会い タンカコレクション

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パドマサンヴァ
パドマサンヴァ
パドマサンヴァ
白多羅菩薩
多羅菩薩
Sixth Title
Sixth Title
多羅菩薩
Sixth Title
Sixth Title
釈迦牟尼佛(接地印・禅定印)

チベット密教の歴史

チベットといえば、まず最初に活仏ダライ・ラマを思い起こす人が多いに違いないと思います。仏教史全体から見て、チベット密教はインド後期大乗仏教の密教教理を忠実に引き継いで発展させ、きわめて重要な位置にであるにもかかわらず神秘的な部分が強調されることが多く実像が正確に伝わっていると言い難い状況にあります。チベット密教は中国や日本とおなじように大乗仏教に属し信仰はチベットのみならずモンゴル、ネパール、ブータン、ロシアの一部、ヨーロッパ、アメリカ、日本、世界各国にチベット密教が紹介され関心が高まっています。チベットでは仏教渡来以前にポン教(ボン教)とよばれる土着的な民族宗教が広まっていました。ポン教は、万物にはすべて霊が宿っていると言う汎神論を基調とした、呪術的な要素が強い民族宗教で祖先崇拝の宗教でもありました。仏教が伝来すると、既存のポン教は激しく仏教と対立抗争を重ね、対立関係が300年以上続きましたが、次第に融合を重ねるようになって、チベット仏教側がポン教の神々と宗教儀礼を習合し、ポン教側がチベット仏教の教理を吸収することで決着しポン教はチベット仏教の一派といっても過言ではないほど、著しく仏教化しています。ラサ市内にある大昭寺はチベットに建立された最初の仏教寺院です。五体投地の礼拝を行いながらラサの大昭寺をめざした巡礼者がお参りをしている姿です.。『秘境』の現実の中で至高の教えは消滅することなく荒涼と豊穣が同居し何もないがすべてがある世界、繰り返し行われる五体投地の礼拝は,『己の存在を徹底的に無化させる』事を意味し礼拝の対象である仏の世界には『あらゆる者を救済へと導く知恵』が準備されているとされ今なお生きた神話が息づいています。

刺繍タンカ『チベット仏教美術』

インドに生まれチベットに伝えられた 『タンカ』 はチベット仏教の掛け軸のことです。主にチベットで作られているものが多いのですがモンゴルや中国での製作されいるものもあります。タンカは元々僧侶が人々に仏教の教育や釈迦の伝記を教える為につくられ、持ち運びできるようにされていると言われています。タンカには壁画、刺繍、アップリケ、織物、版画、宝石画などがあります。刺繍タンカは、修業中の僧が一針一針心をこめて刺繍と言われています。特に金糸をたくさん用いられているものはきらびやかで神々しく輝きを放っています。チベットタンカは、バター灯を燈すため独特の香りが付いて寺院に居る様な気持ちにしてくれます。チベット人は、親類や大切な人が亡くなり四十九日法要時、占星術師に告げられた尊格をタンカに描く習慣もあります。在家信者でなくても刺繍タンカに惹かれて飾ることにより心の落ち着きを得る事も出来ると思います。日本仏教もチベット仏教もインドから始まって長い歴史を経てきた仏教の歴史の中で輝かしく彩られたチベットタンカの仏教美術の世界を堪能し現代社会のめまぐるしさで置き去りにされた人間本来の優しい心を取り戻し未来に向かう生きる力を届けてくれることでしょう。

            【刺繍タンカを刺繍する糸です金の糸は金を巻きつけて作られています】

マニマニ

転経器(てんきょうき)とも言われて、チベット仏教で用いられる仏具でマニ車、摩尼車です。チベット語でマニコロとよばれています。マニは如意宝珠でコロはチャクラの意味です。マニ車は円筒形で側面にはマントラが刻まれて内部にはロール状の経文が納められていて手に持って廻せる物や寺院などで設置されているものは数十センチから数メートルのものがありますが回転させると回転させた数だけ御経を唱えた功徳があると言われています。チベットの人々は歩きながらマニ車をまわしたり椅子に座って廻しながら語り合う姿を街のあちらこちらで目にすることが出来ました。祈りを感じることが出来ます。

タルチョー 

      すべての生きとし生けるものが平和で幸福と健康に恵まれますようにの願いを込めて
     
魔除けや祈りを込めた御経文を印刷した旗の事で、チベットでは山頂、家の屋根峠、橋、湖、お寺の広場、などに揚げ、ラーソル『土地の精霊や仏様を拝み焼香』の習慣があります。ルンタはチベット仏教が伝来する前のポン教の時代に勝利の旗(ギャルダル),軍旗、やルダル旗(軍隊や遊牧民が団体で移動する時の目印)として悪霊を祓い土地の精霊に祈願すると言われています。風にはためくごとに、風が仏法を世界中に広めると言われています。5色は物質の五元素を表します。黄色は地、緑色は水、赤色は火、白色は風、青色は空を示します。風の馬が描かれている場合ルンタとよばれ、風馬旗とも呼ばれることもあるようで六字大明呪(ろくじだいみょうじゅ)、四神(虎、麒麟、鳳凰、龍)も描かれている。六字大明呪、正式名 六字大明王陀羅尼(ろくじだいみょうおうだらに)は仏教の陀羅尼(呪文)の一つオーン・マ・ニ・パド・メー・フーンの6文字の短呪です。観世音菩薩の慈悲を表現した真言で観音六字
【蓮華の宝珠よ、幸いあれ】 オーンが幸い、マニが宝珠、パドメーが蓮華、フーンが呪文ラサのポタラ宮の近くの岩に六字大明王陀羅尼が刻まれています。

 

チベットの旅 (西蔵・林芝) 刺繍タンカとの出逢い

2007年4月28日
上海東浦空港発8:10 西安にて乗換12:45 目的地 西寧14:00
西寧の空港にて旅行会社の人が青海チベット鉄道の乗車券を持って出迎えてくれ西寧駅まで送ってくれました。
西寧駅19:56発 ラサ行き  時間があるのでチベット仏教寺院タール寺に行くことにしました。その途中万里の長城の原点ここが始まりと言う場所にタクシーの運転手さんが立ち寄ってくれました。再び西寧駅にもどり駅前の食堂で食事してバナナと大きな柚子を買いました。世界一の高山列車青海チベットでラサを目指しました。

2007年4月29日
青海湖からゴルムドから那曲からタングラ峠からラサへ
ラサ到着20:00予定がラサ駅目前で30分停車したままで20:30着
一番楽しみにして憧れだった青海チベット鉄道は私はとても過酷な体験となりました。
まず、西寧駅から乗車して全席指定のはずですが私のベットは人に占領されチケットの番号を見せても移動しようとしないので車掌さんに来てもらいようやくスペースの確保成功
白いシーツは、何度取り替える様お願いしても聞き入れてもらえぬまま、これが本当の泣き寝入りでした。そのまま、しばらく、眠って気分が悪くなって目が覚めましたが頭痛がして体が思うように動きません。
まさかの高山病です。旅行を計画した時点では少し気にしていましたが日常健康なので大丈夫だと思いすでに忘れてしまっていたのです。
ベットの頭の酸素吸入器が設置されていますが何故か効果がなく気分は最悪のまま車窓より大草原や雪の山脈等この世の景色では見たこともないような素晴らしものでした。
ようやくラサ駅に立ち一歩一歩大切に歩くというのでしょうかゆっくりとしか歩けません。
迎えのガイドさんに頼んで酸素ボンベと車を駅に横付け  酸素ボンベ1本20元でした。ホテルまで3本使用。
市内まで一時間位だったと記憶していますが途中無理やりの薬店に寄って高山病の薬買うことになりました。(いらないと言うのによく効くから買った方がいいと無理やり)
ホテルに到着して酸素を出す器械を借りて部屋中が酸素だられけで安心して眠りました。『お風呂には入ってはいけないのですがやはりはいってしまいました』
国防大厦 ラサ市八木格南路8105号室 宿泊

2007年4月30日
歩いて5分位で世界遺産 大昭寺です。ゆっくりゆっくり歩いて行きました。
ここで、運命の出逢い『チベットタンカ』を見てしまいました。遠方からお参りの人であふれていました。
ポタラ宮まで人力タクシーで10元 夢にまで見たポタラ宮です。

2007年5月1日
朝9:00 西蔵林芝にヒマラヤ山脈見学、冬虫夏草、雪茶を求めて出発です。
酸素の器械を車に取り付けて酸素を車の中いっぱいして2泊3日のヒマラヤ高山ドライブです。
辺りは4000m以上5000m近くでさすがに車から降りれないのですが地元の子供たちや風にたなびくルンタみごとな体験
寒康潤福大酒店 西蔵林芝地区鎮州大道80号 宿泊
(暖房は壊れて2日間共 寒いままです。)
 
2007年5月2日
活仏に会えるとガイドさんに案内されました。
『アナタは中性脂肪が高くて脳梗塞で死亡するからこの薬をお勧めします、60000円』
実は活仏は薬草売り・・・?お寺のような建物に入って順路の通りに進むと2階に続き活仏様が各ブースに座って健康相談を受けるようになっていました。
なんとも、本物らしく座られると・・・・不思議と信じてしまいそうでした。
                         (本日2013年7月・・・元気です。)
この周辺で人が亡くなると鳥に食べてもらうただし子供は川に流す。らしく魚料理はあまり食べないとガイドさんは話しました。西蔵林芝地区工布达県土特産店に立ち寄り漢方薬・雪茶・冬虫夏草との出会い地元の人々が採集して持ってきた冬虫夏草の売買が行われていました。(山口県下関市のフグのセリ市と同じで黒い袋の中で指を握り売買価格決定)
 
2007年5月3日
朝9:00 林芝地区からラサにむかつて出発
11:30 前を走行していた車が事故をおこして直ぐ後の車両はとどまらないといけないらしく事故処理の為2時間停車
日中は、暑く酸素は少ない状態ちょつと苦痛景色は最高です。
観光しながらラサのホテルに到着したのは22:00でした。

2007年5月4日
今日でラサとお別れなので街の中をぐるぐる回りました。バルコンでは、現地お土産店の雰囲気ですが、小さな店には本物のチベット特産品・美術工芸品のすてきな物がたくさんありました。
夜はポタラ宮の夜景を見に行きました。

2007年5月5日
朝10:00 ラサ発 成都経由上海行き(西南航空)でお別れです。
ラサから成都の窓からの眺めもすてきです。
上海22:00到着。

仏尊と神々  チベット密教の仏尊と神々の世界
 チベット仏教では祖師・守護尊・如来・菩薩・女性尊・羅漢・護法尊に分類されます。

パドマサンバヴァ  チベット密教の祖 蓮華生大師 
             インドから飛来して密教も教えをチベット各地に埋蔵

パドマサンバヴァはインドのウッディヤーナに生まれ、<パドマ>とは『蓮華の花』 <サンバヴァ>とは『生まれた地』を意味します。パドマサンバヴァ、はチベット密教をもたらした人でチベットではグル・リンポチェとして知らています。チベット密教の開祖であり、ニンマ・パ(ニンマ派、)と呼称される宗派の創始者です。この「ニンマ・パ」とは、チベット語で「古い・宗派」を意味し「古派」とも訳される、これがチベット仏教における最初の宗派であるということです。パドマサンバヴァ(サンスクリットで「蓮華に生じた者」の意)の名は、彼がウッディヤーナ(烏杖那国)今日のパキスタン、スワート渓谷に当たる、ダナコーシャ湖(ダナコシ)の蓮の花の中から8歳の子供の姿で現れたという伝説に由来します。この不思議な子供は国王の養子に迎えられ、国政を委ねられたのですが、あるとき虚空に現れた金剛薩埵(ヴァジュラサットヴァ)の教えを受け、出家して僧侶となり、後に密教行者となってしまいました。 釈迦の弟子のアーナンダ、シュリー・シンハなど、多くの偉大な師の下で修行して、密教の大成就者として有名になると、彼の神通力を聞いたチベットのティソン・デツェン王によってチベットに招かれ、土着の宗教であるボン教等を調伏し、チベット仏教の基礎を築きました。布教の際には、時にはなだめ、時には驚かせるために八つの姿=グル・ツェンギェー(蓮華生大師八大変化、漢訳は『蓮華生大師除障道』)を見せたと伝えられています。また、パドマサンバヴァはの建設に携わり、771年の落慶後、ヴィマラ・ミトラ、シャーンタラクシタ、ヴァイローツァナとともに、サンスクリット語からチベット語への仏教経典の翻訳事業を監督し、ティソン・デツェン王、イェシェ・ツォギャルを始めとする成就した25人の優れた弟子たちを育てました。伝説によると、その後パドマサンバヴァは、高度なゾクチェンなどの教えを説いた多くの経典を弟子たちの心相続など様々な場所に「テルマ」(埋蔵経)として隠し、将来その教えを広めるのに最適な状況が整った時、彼らの化身が発掘するように封印して、チベットを去り羅刹国に向かったと伝えられています。また、チベットでは今でもパドマサンバヴァが去った4月10日に大祭が行われています。現在も銅四色山において法を説き続けていると言われています。

真言はオム・ア・フム・ヴァジュラ・グル・ペマ・シディ・フム

ツォンカパ  チベット密教の祖 ゲルク派の開祖 
             顕教と密教を整理大成したチベット仏教の大改革者

ツォンカパは1357年チベット・モンゴル・中国の境界に位置する青海地方のツォンカという地で生まれました。『ツォンカパ』という名前は誕生の地にちなんだ名前です。7歳で出家し、16歳の頃に学問を受ける為中央チベット
に赴きました。35歳の頃、瞑想体験の中で文殊菩薩が現れ教えを受け空思想の奥義を体得し、中観思想を根本として全仏教を体系化する確信を得る事が出来ました。【悟りに至る修道のプロセス】(ラムリム・チェンモ) 46歳の時に著された顕教に関する主張です。密教に関する主張は49歳頃に著された【密教の悟りに至る修道のプロセス】(ガクリム・チェンモ)に記されています。53歳の時ラサのジョー・シャカムニ(チベット最古で権威ある仏像)の御前において
大祈願会(ムンラム・チェンモ)を主宰しました。この大祈願会は現在にいたるまでゲルク派は最大の年中行事となっています。ムンランを創始した年ガンデン寺建立しています。ガンデン寺建立は仏陀によつて予言されて建てられました予言は『私に水晶の手数珠を布施した童子は私の教えを復興させよう。末世に「ゲ」と呼ばれる僧院を「ディ」と「デン」の間で興すでしょう。彼の名前は、「ロサン」です。』仏陀に水晶を布施したのはツォンカパの前世者で「ロサン」とは
ツォンカパの本名「ロサン・タクパ」を指しています。「ゲ」はゲルク派のゲです。ガンデン寺で逝去したツォンカパは銀の仏塔に安置され、崇拝の対象となりました。ガンデン寺はゲルク派の発展と共に大本山として隆盛を極めました。

真言はオム・ア・フム・ヴァジュラ・グル・ペマ・シディ・フム

釈迦牟尼  チベット密教の祖  シャーキャ・ムニ 
       タンカの中核に鎮座する仏様 
       五仏(大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)釈迦如来 

釈迦牟尼(シャーキャ・ムニ)は仏教の開祖です。。釈迦牟尼世尊、釈迦牟尼仏陀、釈迦牟尼仏、釈迦牟尼如来とも呼ばれています。略して釈尊(しゃくそん)または釈迦尊、釈迦仏、釈迦如来と呼ばれる事も多いです。称号だけを残し、世尊、仏陀、ブッダ、如来等と呼ぶ事もあります。ただし、大乗仏教以後の仏教では仏陀・世尊・如来は釈迦牟尼だけではありません。特に浄土真宗では単に如来というと阿弥陀如来を指すことも少なくありません。仏教の開祖で、いまから二千五百八十年ほど前、西暦紀元五六五年にインドのか迦毘羅城主の皇太子として生まれました。母は摩耶夫人で、四月八日ルソピニ園の樹の下で誕生されたとき、生まれながらにして七歩を歩まれ、「天上天下唯我独尊」といわれたと伝えられています。釈迦牟尼の仏像は容貌慈善、物腰が落ち着いており、全身は金色、一面両手、青色髪の毛を金色ヘアピンで縛る、ミカン色僧衣をまとう、両足はあぐらをかいて蓮花座に座る僧形と飾りを付けた菩薩形の二種類があります。手のしぐさ(印相)は施無畏印(せむいいん) 手を上げて手の平を前に向けた印相。漢字の示す意味通り「恐れなくてよい」と相手を励ますサインです不空成就如来が結ぶ印相です。
与願印(よがんいん) 手を下げて手の平を前に向けた印相。座像の場合などでは手の平を上に向ける場合もありますが、その場合も指先側を下げるように傾けて相手に手の平が見えるようにします。相手に何かを与える仕草を模したもので宝生如来などが結ぶ印相です。。施無畏与願印(せむい よがんいん) 右手を施無畏印にし、左手を与願印にした印相。坐像の場合は左手の平を上に向け、膝上に乗せます。これは信者の願いを叶えようというサインです。施無畏与願印は、如来像の示す印相として一般的なものの1つで、釈迦如来にこの印相を示すものが多いです。与願印を示す左手の上に薬壷が載っていれば薬師如来である。ただし、薬師如来像には、本来あった薬壷の失われたものや、元々薬壷を持たない像もあります。また、阿弥陀如来像の中にも施無畏与願印を表すものがあり、この印相のみで何仏かを判別することは不可能な場合が多いです。転法輪印(てんぽうりんいん) 釈迦如来の印相の1つで、両手を胸の高さまで上げ、親指と他の指の先を合わせて輪を作ります。手振りで相手に何かを説明している仕草を模したもので「説法印」とも言います。「転法輪」(法輪を転ずる)とは、「真理を説く」ことの比喩です。親指とどの指を合わせるか、手の平を前に向けるか自分に向けるか上に向けるかなどによって様々なバリエーションがある。例えば胎蔵界曼荼羅釈迦院の釈迦如来の場合、両手の指先を上に向け、右手は前に、左手は自分側に向けます。この場合、右手は聴衆への説法を意味し左手は自分への説法を意味します。定印(じょういん) 坐像で、両手の手のひらを上にして腹前(膝上)で上下に重ね合わせた形です。これは仏が思惟(瞑想)に入っていることを指す印相です。 釈迦如来、大日如来(胎蔵界)の定印は左手の上に右手を重ね、両手の親指の先を合わせて他の指は伸ばします。これを法界定印(ほっかいじょういん)といい、座禅の時結ぶ事でなじみ深い印相です。阿弥陀如来の定印は密教では法界定印とされるが、浄土教などでの場合は同じように両手を重ねて親指と人差し指(または中指、薬指)で輪を作るものもあります。阿弥陀如来の印相には沢山のバリエーションがあります。
触地印(そくちいん) 降魔印ともいいます。座像で、手の平を下に伏せて指先で地面に触れる、伝説によると、釈迦は修行中に悪魔の妨害を受けてその時釈迦は指先で地面に触れて大地の神を出現させました、それによって悪魔を退けたといいます。このため触地印は、誘惑や障害に負けずに真理を求める強い心を象徴します。釈迦如来のほか、阿閦如来や天鼓雷音如来が結びます。智拳印(ちけんいん)左手は人差し指を伸ばし、中指、薬指、小指は親指を握ります。右手は左手人指し指を握り、右親指の先と左人指し指の先を合わせます。大日如来(金剛界)、一字金輪仏頂、多宝如来が結びます。降三世印(こうざんぜいん) 小指を絡めて胸の前で交差させる印。
サルヴァクレーシャニシューダナ・サルヴァダルマヴァシィターブラターバガガナマーサマ・スヴァーハー

多羅菩薩  チベット密教の祖 女神(女尊) 
             世界のエネルギーの源

多羅菩薩(ターラー)(ドゥルマ)とは、インド名で「輪廻の海を渡るのを助ける女性」と言う意味です。無数の衆生を救ってきた観音様が、苦しむ衆生はまだまだ数知れずいると思い、流した涙から生まれた妃とされ、かなり前から存在していたといい伝えられています。インド、ネパール、チベットで最もよく知られた尊格です。日本ではほとんど崇拝されません。多羅菩薩はいろんな種類があり、白、緑、黄、赤、青の5種類があります。これは密教五仏の影響を受けたもので、白ターラーと緑ターラーは庶民に一番尊敬されているターラーです。白ターラーは阿弥陀如来の左眼から生まれ、両手と両足のひらに目をつけるし、面部に三目があります、七目神と称します。温和で善良、聡明で人に助けることが熱心、救度母とも言われます。白度母卡花冠をかぶり、両耳に大きいイヤリングをつけています。ハス座にあぐらをかいて座っています。左手にハスを持つ、右手のひらを外に向け、人間の願いを受ける菩薩です。。白ターラーは美しい女神で観音の救済にもれた人々も残さず救う万能の救済神で、無量寿仏、仏頂尊勝母とともに長寿三尊の一つに数えられ、病気平癒、延命長寿など息災法関係に効験があるといわれております。母とともに長寿三尊の一つに数えら緑多羅菩薩は観音菩薩の左目から流れ出た涙から生まれました、聖救ターラーとも呼ばれています。慈悲と絶美の象徴、両手に蓮を持っています。願望成就緑多羅菩薩は福・寿・財を増えさせ、災難と悩みを解消、生死輪回の苦しみを止める力を持ち、各教派は尊重しています。「世間三殊勝の神」と崇拝されています。
オーム・ターレ・トゥッターレー・トゥレースヴァーハー

黄財神  ザンバラセルボ  蓮華神 
             チベット仏教の後期に財宝神としてあらわれた

黄財神は俗称といわれて蓮華神とも言われています。財神と略称するとも多いです。チベット仏教で四天王の一尊、多聞天王(ヴァイシュラヴァナ)と呼ばれ、「仏の道場を守護し、説法を聞く」の意味もあります。毘沙門天王(ヴァイシュラヴァナ)とも呼ばれる事もあり北方の守護神。眷属には羅刹・夜叉・顔と肌は黄色、チベット密教の仏法の擁護者、大護法神。本来、豊穣の神はその下に暗黒の側面を合わせ持っています。財宝神の特徴として、大きなお腹をして、袋を持った姿をしています。中央アジアに伝わった時に勇ましい神に変化しました。日本でも当初は戦勝の神として信仰されましたが、不思議なことに、やがて七福神に入るような福徳の神に戻りました。諸財神の最高位です。修行者の資財を生み出し、生活に困ることなく安心して専心させてくれます。多くの財神の中で黄財神が大衆に最も近い存在であり多くの人々に慕われています。左手に珍宝を口から出してくれるねずみを持ち貧困を助けてくれます。この仏法を習得すると財産を増やし、困窮や一切の経済圧迫を避けることが出来ます。黄財神はお守りとして、また「金運」「財運」に強い効果があります。黄財神の黄はお金を意味しますから昔からお金儲けや商売繁昌の神(財神)とされ招財力・金運・財運にご利益があると言われています。